エンドレス・サマー

前向きで切ないアイドルたちが大好きです。

『閃光スクランブル』感想

遅くなりましたが、ようやく閃光スクランブルの感想です。笑
「死んだように生きている場合じゃない」これが今回のキャッチコピーですね。

いやー、ほんと面白かったです。この先は一部ネタバレもありますので、迷っている方はこの段階でぜひ読んでください!笑
少なくとも、このブログにたどり着くような方なら買っても損はしません。というか、下手に本を買うなら『閃光スクランブル』買った方が楽しい時間を過ごせると思います。笑

ネタバレ大丈夫な方は続きから!

まずは、あらすじをどうぞ。

<あらすじ>
人気アイドルグループ、MORSE(モールス)に所属する亜希子は、自らのポジションを確立できず葛藤している。同期の卒業、新メンバーの加入と、亜希子を追い込む出来事が立て続けに起きる中で、年上のスター俳優・尾久田との不倫に身を任せていた。そのスクープを狙う巧。彼は妻を事故で亡くして以来、作品撮りをやめてパパラッチに身を落としていた。巧と亜希子が出逢った夜、二人を取り巻く窮屈な世界から逃れるため、思いがけない逃避行が始まる。互いが抱える心の傷を癒したものとは——。
閃光スクランブル公式サイトより

 本当、年始からアイドルの話題が尽きない2013年ですけども。
 特に女性アイドルグループは、アイドル戦国時代の言葉がハマる印象です。ローカルアイドルからAKBやハロプロももクロといった有名どころまで、多種多様なグループが日々しのぎを削るここ数年。それらを見ていると、私と同年代やそれより幼い女の子達がアイドルとして生きていく苦しさと儚さに思いを馳せてしまいます。
 そもそも、アイドルと一般人はどう違うのか、アイドルで在り続ける、芸能人で在り続けるってどういうことなんだろうか。私たちファンってなんなんだろうか。彼女たちを苦しめてしまう存在なのか。
 アイドル好きなら一度は考えてしまうようなこれらのテーマに真っ向から向き合い、一つの回答を示した小説があります。
 それが、加藤シゲアキの2作目『閃光スクランブル』です。

 あらすじを読むとお分かりの通り、現役ジャニーズが女性アイドルの恋愛と葛藤を描き、世間とファンの姿まで書いた小説を発表した、という点で、もうだいぶ攻めた小説です。笑 
 しかも、亜希子が不倫に走ってしまう背景も、パパラッチにしっぽをつかませないように逢瀬を重ねる描写もなんだかリアル。芸能人の恋愛ってこんな意味を持っているのか、こんな世界で彼らは生きているのか、などなど色々と考えてしまいました。

 前田敦子卒業直後のAKBを彷彿とさせるような、アイドルグループMORES(とはいえ運営はハロプロに近い印象)。女性主人公のアッキーこと伊藤亜希子は、人気絶頂のアイドルグループに所属しているし、素材も悪くなく、努力家にも関わらず、突出した“何か”を持てず、いまひとつ花開かないアイドル。年齢も二十歳を超えている亜希子はグループでも年長。同期のミズミンの卒業を見送ったことで、フロントとしてグループを率いていこうと決意する一方で、自分の芸能人としての寿命が日に日に近づいていることに脅えています。
 この小説では、巧と亜希子の2人の主人公がいるわけですが、私はほとんど亜希子目線で読んでしまいました。思わず引き込まれてしまったきっかけは亜希子の置かれたポジション。彼女って、外から見ると手がかからないし、はらはらしない、安心して見れる優等生アイドルだと思うんですよね。たいていのことは卒なくこなせるし、致命的な落ち度はないけども、特筆すべき強みが見つからず、分かりやすい改善点もないためにポジションが少しぱっとしなかったり、実はひっそりと悩み続けて方向性に迷ってしまう感じの子。そういうアイドルが、いつもと変わらない笑顔の裏で人生の岐路に立たされているわけです。

 そして彼女には序盤から、シビアな問いが投げかけられます。これにはアイドル好きなら誰もが思わず感情移入し、胸を締め付けられてしまうのではないでしょうか。

「お前の魅力ってなんだ。顔か? 歌か? ダンスか? どれか一つでも秀でているものはあるのか?」
 ジャックはこんな風に現れてはアイドルとしてのアッキーを否定する。もちろん他のメンバーには見えていない。
(中略)
 ミズミンがいなくなるよりも、私がいなくなるべきなのかもしれない。人気だって実力だって、ミズミンには敵わない。
 どうして私はここに立ってるのかな。こんなたくさんの人の前に、どうして私なんかがいるのだろう。そもそもこのステージと客席の間にある大きな溝。そのこっちとあっち、一体何が違うんだろう。
閃光スクランブル』P.41~42

 最初読んだときに、この問いに向き合って苦しんでるアイドルってすごく多いんじゃないか、と思いました。すごくリアル。というか、作者のシゲアキ先生自身も、この問いと何年も向き合い、悩み続けた人だと思いますし。
 同時にこの「魅力ってなんだ?」はアイドルに限らない悩みだと思います。もちろん、亜希子ほどシビアに突きつけられることはなくても、誰もが思い当たるような感情ではないでしょうか。例えば、恋でも、仕事でも、スポーツでも、何でもいいと思うんですけど、頑張ってもいまいちぱっとしない瞬間って必ずあると思います。普段は考えないけども、ふとしたタイミングで頭をよぎるような悩みだと感じました。少なくとも私は、自分ってなんも誇れるものないな、と思う時があるので、亜希子にすごく共感しました。
 そんな亜希子が、この問いとどうやって向き合っていくのか、どんな答えを出すのか、彼女の物語にすごくひき込まれましたし、アイドルの小説であると同時に、私の小説でもあると思いました。

 というわけで、アイドル好きだけでなく、一度でも「自分ってほんとつまんないなー。魅力ないなー」って思った経験のある方には心からオススメしたい!笑
 そういう方は、感情移入しちゃう分、途中が苦しくもあるんだけど、最後まで読み終わると、亜希子が出した答えにぱあっと目の前が晴れたような心地よさを感じると思います。

■アイドルから見たファン
 小山さんが『閃光スクランブル』の感想としてことあるごとに「シゲってロマンチストだよね」とおっしゃっているのですが、本当にその通りでした。シゲの描く愛情って本当にロマンチック。巧とユウアも、巧と亜希子もすごく美しかったのですが、中でも予想以上に美しく描かれていたのが、亜希子とファンの関係性でした。

 もちろん、昨今の様々な論争を見ると分かるように、アイドルとファンの関係が常に美しく優しい関係に終始するわけはありません。作中でも、ファンの好き勝手な言葉、何の気なしに書いた意見で揺らいでしまう亜希子や、とある行動に出て亜希子を傷つけてしまう熱烈なファンの描写も出てきます。
 その上で、女性アイドルファンの方が読んだら、リアリティーが無い、と一蹴されそうなくらいロマンチックなファンとの関係を書いています。読んでみると色んな感想を持たれると思うのですが、私は何よりもアイドル自身が、ファンの在り方や見方を決めているのだ、と感じました。ファンを恐ろしいと思うか、味方だと思うか、醜いと思うか、美しいと思うか。アイドルにとって、ファンはそういうものなのかなぁと。ファンにとってそれぞれのアイドルがいるように、アイドルにとってもそれぞれのファンがいるんだろうな、と改めて思いました。

 ちょっと脱線しますが、そのシーンというのは、新生NEWSの始動前に書いて、コンサート見て書き直すことになるかなと思っていたシーン。でも、実際にコンサートが始まったら、『閃光スクランブル』で書いた光景が目の前に広がっていた、とシゲは言います。私たちファンは、ステージからの景色を一生見ることがないと思いますが、ステージに立って輝いている彼らの目に、私たちがこんな風に映るときもあるんだ、と思うとなんだかぐっときます 

■「孤独」を丁寧に描いた小説
 前回も思ったんですけど、シゲは「孤独」を描くことにとても長けているなぁと思います。シゲの描く孤独は大げさでもなんでもなくて、友達と馬鹿騒ぎした高揚の後に何気なく押し寄せてくるような、すっと入り込んでに胸を締め付けてくる孤独。
 この本には、自分で自分の道を決めてきたような、そんな登場人物たちが出てくるのですが、彼らはみんなどこか孤独に映ります。とはいえ、実は私たちも彼らと同じような孤独を抱えているんだと思います。

 なんていうのかな、誰かに相談して心が軽くなることや、知らず知らずのうちにそっと助けられていることもたくさんあるけど、最後は自分でどうにかしなきゃいけないことや、向き合わなきゃいけないことってそれなりにあると思うんです。そういう最低限、自分の人生を生きてくうえでの選択だったり、それに伴う責任だったり結果があって。誰もが、他の人に代わってもらえない何か、分かってもらえない何かがあって、それを時に孤独に感じるんじゃないでしょうか。

 孤独と向き合うのは避けられないけど、でも、同時に、その孤独に飲み込まれてしまう瞬間も、自分だけでは立てないときも、前に進めないときもあって。そういう、足元がぐらついてどうしようもないときに何をしてくれるわけでないけど、ただ寄り添ってくれる優しさってすごくすごくかけがえなかったりするんだと思います。
 読み終わってみて、ある意味で巧にとっての亜希子であり、亜希子にとっての巧が、読者にとっての『閃光スクランブル』なのかなーと感じました。勝手な読み方ではあるけども、シゲアキ先生のそっと背中を押してくれるような優しさも、ぎゅっと一緒に詰まった小説なのかなぁ、と思います。

■その他
 正直、二作目の発表があり、キャッチコピーとあらすじが分かった段階で相当ワクワクしたんですけども。その期待を裏切ることなく、むしろここを書くのか!という意外な方向で超えてきた今作。文句なしに面白い、日本のエンターテイメント小説でした。登場人物もキャラ立ちしてるので、キャラクター中心に読むこともできますし。
 亜希子と巧の物語というだけでなく、芸能界やアイドル論の材料としても読めるので、まだまだ読み手次第で化けていく小説のように思います。
 あとは、前作の『ピンクとグレー』が真っ当なまでに文芸書だったのも含め、作家・加藤シゲアキの幅と可能性も存分に感じられました。なんというか、2作目を書いたことで商業作家としてやっていける人なんだなぁと。

 明確なストーリーと伏線、小説を彩る装飾の一つ一つまで、丁寧に積み上げられてラストに向かう構成は前作譲り。もちろん、まだこなれていないというか、やや青さも残る文章もあるんだけども、それも含めて今しか書けない文章だと思います。何よりも、シゲの小説には、シゲにしか伝えられないことがあるんですよね。
 そういう点で『閃光スクランブル』は作品として非常に誠実。加藤シゲアキ”じゃなければ書けない小説、“加藤シゲアキ”が書くことに意味がある小説だと思いました。
 あとは、ラジオ等でも語られている通り、音楽のジャンルや使い方、渋谷という街の情景、装丁も含めて、読めば読むほど発見がある本ですね。というわけで、ぜひ読んでみてください♪

 
■もっと『閃光スクランブル』を楽しむための参考資料

小説のテーマ、渋谷系音楽の話など、読んだ後にこれを読むと知らない知識を補足してくれる素敵な特集でした。グラビアもすごく良かったです!

前作です。これも最近読み返したんですけど、今作と違う方向の力作で、すごく面白かったです。



長くなりましたが、こんな感じです><
ちなみに、ラジオ「SORASHIGE BOOK」でも裏話や、質問に答えてくれているので、本と合わせて聞くとよりいっそう楽しめます。