アイドル小山慶一郎のルーツを考える
ご無沙汰しております><
新生NEWSも良曲ぞろいのシングルを発売!&DVD発売も決定!というわけで、いい知らせが続きますね♪
書きたいことは山積みなんですけど、ここ数週間はこの記事にかかりきりで全く書けず。すみません(笑)
今日は、小山さんのMyojo10000字インタビュー感想です。
このシリーズもとうとう最後の一人。
満を持して小山さんの登場です!!
Myojoの2011年9月号を参照しています。
増田さん・シゲ・手越さんはこちらから↓
アイドル増田貴久のルーツを考える - エンドレス・サマー
アイドル加藤成亮のルーツを考える - エンドレス・サマー
アイドル手越祐也のルーツを考える - エンドレス・サマー
インタビューの言葉から小山慶一郎があふれ出しているので、機会があれば記事を読んでいただけると幸いです。
人柄だったり、温かさが伝わってくると思います。
苦戦したわりに、悔しい出来上がり。いつか手直ししたくなりそうです><
また、かなりの長さなので、お時間があるときにお読みください(笑)
お付き合いくださる方は続きから!
■Myojo10000字インタビュー
今回は、Myojoの2011年9月号に掲載の小山慶一郎10000字インタビューを元に書いています。
以下、以前のルーツを考えるシリーズと繰り返しになります。
NEWSの10000字インタビューは2011年の7月号のぴーさまから始まり、手越さん、小山さん、まっすー、シゲアキ先生、離脱後の亮ちゃんへと続いています。
というわけで、この10000字インタビューを受けているときは、ファンは知らなかったものの、すでに2人の離脱が決まっている時期ですね。
そんなことを考えつつ、小山さんのインタビュー感想スタートです!
■感情豊かで人なつっこい幼少期
小さい頃は怖がりで泣き虫。海水浴では波が怖くて海に入れず、飛行機に乗ったときはずっとぬいぐるみを抱きしめていた。一番泣いたのは保育園に入るとき。「オカンと離れるのがイヤで毎日毎日泣いて」3日で保育園をやめたそうです(笑)
甘えん坊だけども、決して内気ではなく、むしろ目立ちたがり屋。毎年地元のお祭りではっぴを着て神輿の上に乗るような子だったといいます。人見知りをしない気質をご実家がラーメン屋でお客さんが出入りしていた影響と分析する小山さんですが、このエピソードからも人なつっこさを感じますね。
幼稚園時代は結構モテて、初恋もすませ、野球も始めています。とはいえ、手越さんほど一途ではなく、Jリーグ開幕の波に流されてキャプテンなのにも関わらず、野球をやめてサッカーをやろうと思ったそうです(笑)
小学校時代には、野球を続けながら可愛らしい告白をしたり、応援団やリレーの選手になったりと、順風満帆の小学校生活を送ります。
もともとプロ野球選手になりたくて、芸能界なんて全く考えたこともなかったと言います。ただ、「姉ちゃんはSMAPの香取くんのすごいファンだった」ために、振り付けを一緒に覚えたりしていて、全く知らないわけではなかったようです。
小山さんをジャニーズに導いたお姉さんとは、一緒にいる時間も多かったようです。
「うち、小5で両親が離婚してるんだけど、オカンはラーメン屋で遅くまで働いてたから、夜はずっと姉ちゃんとふたりでいた」弟の面倒を見なきゃ!という意識があったお姉さんとは些細なことでケンカをしながらも、「なんだかんだ、ふたりきりだったから仲よかったよ」と姉弟関係は良好。昔から家事をやることが当たり前だったために、今でも家事に抵抗がないそうです。素敵ですね!笑
中学時代は、やんちゃな子とも上手く付き合いながら学級委員をしていて、すごく楽しかったそうです。
そして、小山さんの転機、「高校受験」がやって来ます。
小山さんを考える上で、人当たりのよさは一番に出てくる部分だと思うのですが、やっぱりご実家がラーメン屋さんだった、というのが大きいようです。お店に伺ったことがないので、雰囲気は分からないのですが、地元の方に愛され、子どもの頃の小山さんはお客さんにたっぷり可愛がってもらってたんじゃないかなぁ。
様々な人に常に囲まれながら育ったために、人見知りせず、誰にでもオープンな小山さんが出来上がったんじゃないかと思います。感情豊かなのも、常に周囲に人がいる状況&強制されたりとがめられることの少ない環境だったからだと感じました。
お母様が忙しかったために程よく自立しているものの、お姉さんがいらっしゃるので、甘え上手な部分は残った印象です。これで小山さんが第一子だったり、ひとりっこだったら、もっとしっかり者全開で甘え下手になっていたんじゃないかなぁ。
■高校受験失敗
小山さんが人生のターニングポイントとしてあげる高校受験。同じ学校から何十人も受けて、自分だけ落ちたうえ、自分が思い描く高校デビューが出来ず「人生終わった」と思ったそうです。
楽しそうな友だちを見ながら、ダサイ指定バッグを持って通う日々。「俺、もう高校やめる」と毎日家で泣いて愚痴をこぼす小山さんを見かねてか、「姉ちゃんがある夜に、“髪型セットして! 好きな服着て!”」と履歴書用の写真を撮ってくれたといいます。
3ヵ月以上経って書類審査で落ちた!と思った高1の冬。友人とひと晩中雪合戦をして、朝方帰った日に奇跡が起こります。「それが忘れもしない2001年の1月21日。俺、いつもは絶対裏口から家に入るんだけど、その朝だけは表から入ろうと思って」「ふだんはポストなんか見ないのに、なぜか見てみたりして」「そうしたら、封筒が届いてて、“1次審査受かりました”って」
2次審査の日程は、ポストを確認した、まさにその日。虫の知らせというのか、もし次の日にポストを開けていたら“アイドル小山慶一郎”はいなかったのかもしれません。
アイドルのイメージが金髪&ピアスだった小山さんは、コンビニで買ったカラーリング剤で金髪にし、お母さんのイヤリングを借りてピアス代わりにし、寝ないでオーディションへ(笑)
■運命のオーディション
会場に行ったら300人のオーディション生が。かっこいい人ばかりの会場を見て、「マジかよ!? 受かるわけない」と思ったそうです。
V6の“愛のメロディ”の振り覚えから始まったオーディション。踊れる順にA〜Fに分けられたものの、小山さんはFグループに。「もうやる気をアピールするしかないって、振り付け師に“ここのステップわからないんですけど”って質問してアドバイスもらって」そうしているうちに、「オマエ、いいな。Aに行っていいぞ」と許可が出たそうです。
その後、ジャニーさんに「この中で野球をやったことがある人」と聞かれ、手を挙げた小山さんを含めた5人が無事に合格。
合否はその場でわからなかったものの、会場を出るとき、ジャニーさんに「ユーその髪色ヤバイよ。金髪まったく似合わない。あと、そのピアス何?」と言われ、来週までに黒髪にするように指示を受け、後日雑誌にフレッシュJr.として紹介されたことで合格を確信したそうです。
合格者は「Aグループだけから出てたわけじゃなかったし、金髪もピアスもかんちがい」。小山さんの狙いは当たらなかったものの、目立つことには成功し、年齢的にもぎりぎりの高1でラストチャンスを掴みます。
合格後は泣いていた日々が一変、いきなり楽しくなったそうです。
お姉さんが履歴書を送った理由は「つまんなそうにしてたから」。「姉ちゃんも高校をやめようと思ったことがあったらしくて、それでもつづけたら楽しいこともあったから」と、オーディションがきっかけになったらいいなと思ったそうです。そんなお姉さんのことを「いいヤツです(笑)」と話す小山さん。
そして、「姉ちゃんが履歴書を送ってくれたから、いきなり希望の光が見えたっていうか」「俺、自分のこと完全に負け組だと思ってたから、やっと目標を持てた。がんばるきっかけができた」と語ります。
このオーディションの下りを読むと、小山さんとご家族の関係にもうるっとしちゃいますね。
相応の努力をしながらも、いろいろと器用にこなしてきた小山さんが初めてぶつかった壁が高校受験。しかも、受かる自信があっただけにより一層ダメージが大きかったんだろうなぁと思います。こういう気持ちすっごいわかる!わかるよー!
その悔しさとか、情けなさを覆して前向きなエネルギーに変えたきっかけがオーディション。本人が語っている通り、高校受験は“負け組”だったけども、これから全部が“負け組”なわけじゃないって、そう思えたことが一番重要だったんだろうなぁ。Jr.の子たちって正のエネルギーのかたまり、みたいな印象があるので、上しか見てない人の中に放り込まれるのも刺激的だったんじゃないかと思いました。
オーディションでは、やる気をアピールする、ってところがほんとに小山さん!なんだかんだぐいぐいいくし、努力家だし、素直ですよね(笑)
小山さんの魅力として、ひたむきさとてらいのなさがあると思ってるんですけど、そういう部分も存分に感じられる気がしました。
■運命のシンメと出会う
小山さんは入ったとたん、ジャニーさんの指示でしげとシンメを組むことに。第一印象は「おぼっちゃんみたいなヤツ」。決して好印象ではなく、どの仕事もしげと一緒で「なんでこいつとやらなきゃいけねーんだ。全然タイプちがうし」と思っていた小山さんですが、すぐに仲良くなり「買い物行って、おそろいの服買ったり」「一回、ケンカしたこともあったけど、すぐ仲直りしたな」と良好な関係を築いて現在に至り、「社長には何かが見えてたのかもしれない」と語ります(笑)
コヤシゲについては重たいので割愛(笑) ほんとジャニーさんの人を見る目は只者じゃないですね……。改めてすごい!
小山さんは芸能界を「とにかくおもしろかった」と語ります。入って一週間後には、唐突にNHKに呼び出され、振り付けを覚え、衣装に着替え「ユーは、あの舞台の真ん中に立つんだよ! 行ってこい!」とわけもわからずに少年倶楽部でダンスを披露し、TVデビュー。レッスンは大変だったものの、「見るもの聞くもの、すべてが初めてで楽しかった」そうです。
タッキーと赤西くんとごはんにいったり、KAT-TUNと仲良くなって田口くんに振り付けを教えてもらったり、人との出会いも思い出も多く、相変わらずコミュ力マックスの小山さん(笑)
そういった人との出会いが多かった、光一くんの舞台「SHOCK」について、「光一くんっていう揺るぎない座長がいて、プロ魂を見せつけられて、やんなきゃやべーって空気だった」「ふだんはもちろんライバルでもあるけど、いい舞台を作り上げるための仲間だった」と語ります。
小山さんに限らず、Jr.のライバルであり仲間、という関係性はほんっときらっきらしててますね。
■成長の詰まったJr.時代と念願のデビュー
もともとの高校が芸能活動禁止だったために、小山さんは高校二年生で転校。すごく大きな分岐点だったと思うのですが、
「でも俺は、芸能界を捨てたら、目標を持てなかったころに戻っちゃうって思ったから」
「ジャニーズと高校を天秤にかけたら絶対に迷わない」
「楽しいのはもちろんだけど、そこには計り知れない希望があるんですよ」
「売れたいとか、そんなことじゃなくて、スターの後ろで躍らせてもらったり、スターのそばにいると、“俺、もっとがんばろう。もっとかっこよくなりたい”って自然に思うようになる」
「男としての欲というか」
と迷いはなかったといいます。
「(ジャニーズには)計り知れない希望がある」って言葉、額にかけて飾っときたい(笑
小山さんのどこか純なところって、対相手じゃなくて、対自分にベクトルが向くところかなぁと思うんですけど、ここもまさにですよね。Jr.の経験が刺激になり、新しい扉を開くきっかけになり、小山さんにとって欠かせない場所になっていたんだなぁというのも改めて感じますね。
そんな小山さんはJr.時代に悩みはなかったそうです。というのも、「まだ仕事として認識してなかった」「Jr.同士で明るい話しかしなかった。“次はあれ出るぜ!”“俺はあれ!”」という風だったからだといいます。負けず嫌い&コンプレックスが強い子だったら、結構悩みそうな会話してるなぁとも思うんですけど(笑)、部活に近い気持ちで活動をしていて、努力やらがすべて内面に向いている小山さんは特にひっかからず、明るく高めあっていた印象のようです。
そんな中、小山さんはまたひとつ、大学受験という、大きな選択をします。決めた理由は「俺は高校でいちど志望校に落ちてるから、リベンジって気持ち」があったためと、「Jr.は20才までって決めてた」からだといいます。高3になって周りが見えてくる中で、「保障のない世界だから、将来のことも考えて、ちがう道を歩くことも考えておこう」と決め、コンサート→塾→ビジネスホテルで泊り込んで勉強、という生活を送ったそうです。
そんなことが出来た理由について、「Jr.時代にがんばることのコツを学んだ」と語ります。「Jr.って、本当に短時間で膨大な振り付けや歌を覚えるんだけど、それはもう尋常じゃない早さ」「でも、それを当たり前に覚えていく。やんなきゃ自分が落ちていくだけだから」「厳しい世界だけど、そこにいることで自然と集中力や瞬発力は身につく」「Jr.って、ある意味デビュー後より厳しい世界だし、頭も体も、誰よりも使ってる」小山さんが選んだジャニーズの生活が、リベンジ受験にも繋がった瞬間ですね。
小山さんは入所が遅かったために、同期に先を越される経験はしていません。ただ、年齢的に次のバレーユニに選ばれなければデビューはないと思っていたために、すごくデビューを意識していたそうです。そのため、「ユー、NEWSだから。バレーボールの応援団だから」と言われた時にはうれしくて、「しげとメシを食いにいって水で乾杯したからね。“この後、俺らオッサンになっても一緒なんだよな。おぼえてる? ホント、俺とオマエって最初から一緒だったよな”って語り合っ」たと言います。
しかし、その一方で、Jr.時代に組んでいたK.K.Kityから抜けてデビューしたために、同期で仲の良かった横尾くんに対して、複雑な気持ちもあり、キスマイのデビューがすごく嬉しかったといいます。これは、小山さんが述べていたように、おいていかれる経験がなかったからこその優しさなのかなぁとも思いました。
■小山さんにとってのJr.時代
Jr.時代の忘れられないエピソードとして、タッキーのバックで踊っていたときに「そのままじゃバックで終わっちゃうよ」「がんばろう、気持ちが大事だよ」とタッキーがセンターから小山さんを見て、励ましてくれたことをあげています。「ただがんばるんじゃなくて、がんばる方向性の大切さ」と、がむしゃらなだけじゃなくて、何らかの気持ちを持って舞台に立つ、その気持ちの持ち方でパフォーマンスが変わってくること、そんなことをタッキーから学び、少年倶楽部のMCでもその学びを後輩に伝えていたそうです。
小山さんの成長と自信を得たこの時期のことを、「人生を180度変えてくれた大事な時代だった」と振り返ります。
「高校受験に落ちて、人生終わったとか、負け組みだって俺は思ってて、でも今は、高校に落ちてよかったって言えるから。人生は不思議だなって」
「落ちたからこそ出会えたこと、考えたことがあるから」
「大事なのはその時のベストを尽くすことなんじゃないかなって今は思う」
「高校に落ちたとき、周囲の大人に、“人生で起きるすべてのことに意味があるんだよ”って言われたんだよね」
「あのころは意味がわからなかった。“高校に落ちることに何の意味があるんだ?”って思った」
「でも、今ならわかる。今の自分にたどり着くために必要な挫折だったんだって。意味があったんだって」
「だけど、忘れちゃいけないのが、まわりで見守ってくれている人がいるってことだと思う」
「俺で言えば、オカンや姉ちゃん。もう頭上がらないですね、特に姉ちゃんには」
「人生を変えてくれた人だから、絶対に感謝の気持ちは忘れちゃダメ」
やっぱり、この経験が小山さんの核なんだろうと思いますね。環境はあくまでも環境であって、その中で何をするか、ジャニーズに入って自信を取り戻す中でそういう思考に辿りついたんだろうなぁ。
高校受験失敗で新しい目標を見つけられずに泣き暮らした小山さん。悩みが小さい!打たれ弱い!って感じる方もいるかもしれないけども、自分に置き換えたらとっても大きい出来事だと感じたし、私は共感出来る悩みだと思いました。こういう感覚も含めて、小山さんは比較的「ふつう」なんだろうと思います。ただし、限りなく「真っ当」。
小山さんの分岐点は、負った傷をどうやって乗り越えていくのか、乗り越えたあとに何を思うのか、そこに尽きて、それを正面から超えていった人だと思うんです。
小山さんを全く知らなかった頃、さわやかだけど、一見ふつうのお兄さんっぽいなぁと思ってました(笑) だから、なんとなく近い存在な気もしてました。でも、よくよく知ると、芯が強くてひたむきで、飾らなくて、最後に周囲の感謝でしめる温かさを持っていて、小山さんの「真っ当さ」にやっぱり遠い人なんだなぁとも思うんです。
全くもって上手く言えないんですが、小山さんのあり方によって小山さんをすごく近しく感じ、小山さんの努力によって「真っ当」の極致に到達し、アイドルらしい遠さと輝きを持ったという印象です。
そんな特性が、周りにいそうでいない、でもふとした瞬間に隣にいて欲しい人、小山慶一郎のポジションの源なのかなぁと。
■MCともうひとつの分岐点
初めてのコンサート、MCで一言もしゃべらず、会場が静まり返った中、「なぜか、メンバーみんなが俺を見たんだよね」「これは、しゃべらなきゃいけないぞと。それ以来、いつの間にかMC担当なんだよね(笑)」と語る小山さん。当初はリピーターの存在を知らず、毎回同じMCをしてなんだかウケないなぁ?なんてことを思っていたそうです(笑)
結成当初のNEWSは楽屋でも会話がなく、楽屋で会話してないのにMCが出来るわけがない、というお話もありましたね。小山さんは徐々にグループ内の進行役なのかなと考え、「最初は、メンバーの行動を観察してメモ帳にメモ」「だんだん、それぞれメンバーのキャラも立ってきて、テンポとかもわかって」地道な準備でトーク力向上を図っていたといいます。
小山さんの語り口なのでほんわかした笑い話になっているけど、かなり厳しい話ですよね。その状況も、小山さんなりの方法でひたむきに変えていきます。このあたりの話を聞くと、小山さんは年長で、潤滑油的な部分を求められていて、自然とメンバー間をつなぐように動いてきていたと思うし、しげと二人で自然とクッションになってきたんだろうなぁと感じますね。
そして、小山さんのもうひとつの分岐点は25才にやってきます。「(デビュー後は)悩んでなさそうに見えるでしょ(笑)」「でも、じつは2年前くらい、25才のときが人生で一番悩んだ。毎晩のようにひとりで泣いてた」と語る小山さん。
泣いた理由を、「怖かったんだよね。“5年後、10年後、俺はどうなってるんだろう?”“俺、何になりたいんだろう”って考えたら、俺、何もない」「何も誇れるものがなかった。ジャニーズという肩書きを取ったら、何も残らないって」と言います。そのときにちょうど、『news every.』の仕事がきたために、新たな目標が生まれ、克服できたそうです。未知だった報道の世界は、「不安だったけど、希望の光でもあった」と語ります。
アイドル業は周囲の支えがあって、ふわふわした雲のようなものに乗っからせてもらって進んでいたと感じていた小山さん。新たな挑戦は、自分の足元に実は何もないことを気づかせた。「経験がないジャンルで、自分の力のなさとか、未熟さとかを改めて気づかされて」「“自分は一番下にいる。あとは上っていくしかないんだ”って思えた」「俺、今まで淡々と仕事をやってきちゃったなって」「一個一個の仕事の重みが変わった」「俺はこの世界で生きていく。もっともっとどう生きていくか向き合っていこうって」
Jr.時代と大学受験が小山さんに自信と根気と立ち上がる勇気を、泣きはらした25才が仕事に対する姿勢と決意をもたらしたんだろうなぁと感じました。
ジャニーズの人たちはどこかで自分のフィールドを決めるタイミングがやってくるんですが、小山さんは自分のフィールド(と、たぶん強み)がわからない、という悩みだったんですね。
25才の小山さんは、何も見えないほど余裕がないわけでもなく、現状の自分の幅だったり限界がぼんやり見えてきた年齢だったのかもしれません。わたしは小山さんを器用で比較的なんでもこなせる素材を持った方だと思っているのですが(たぶん小山さんには否定されますが。笑)、その器用さゆえに、かえって道を絞りにくく、強みを見つけられないと感じていたのなぁとも思いました。
■小山さんと報道
未知の世界に飛び込むことは怖かったと話す小山さん。一方で、「報道って言ったら『NEWS ZERO』の櫻井翔だなって。あそこを目指さなければいけないのかって思ったら、すごいプレッシャーだった」「俺が歩く道の先に翔くんがいる。同じ道の上にいるって思うだけでうれしくて」「(翔くんが)“見てるよ! 最初は緊張するよな!”って言ってくれてうれしかった」とキャスターの先輩、翔くんの存在に励まされた部分もあるといいます。後輩の小山さんでも同じキャスターとして対等に接する翔くんの姿勢に、いつもほんと骨太な先輩だなぁと思うんですけど、そんな翔くんの接し方も、キャスター小山慶一郎のエネルギー源になってるんじゃないかな。
小山さんのコーナーは2日ロケして、放送時間は実質6分。その中に誰かの頑張ってきた人生をまとめければいけない。そんな環境で小山さんが報道で心がけていることは、「その人が人生でいちばん言いたいと思う言葉を引き出すのが俺の仕事」「報道のときはアイドルじゃない。自分はいち記者だと思ってる」。このあたりの報道に対する考えを読むと、翔くんとのスタンスと正反対に近いとわかります。小山担さん、翔担さん、ぜひ考察をお願いします(笑)
「俺、毎週勝負してるよ」「最初のころ、藤井(貴彦)さんに、“けーちゃん、僕たちは勝つ放送をやろう”って言われて。なんかすごくよくわかって」「“自分に勝つ”ってことを言ってくれたんだと思う」「いつも放送が始まる前に目をつぶって、“今日も勝つぞ勝つぞ勝つぞ”ってつぶやいてます」
このあたりの、対自分に戻ってくるところがすごーく小山さんですね。小山さんにとっての報道ってすごく難しいテーマだと思うんですけど、道であり、挑戦であり、扉なのかなぁとは感じてます。「news every.」に至るには、NEWSのMC担当→少クラMC→24時間の手話の流れがあるわけで、(もちろん、先達の翔くんの存在もあるとは思うけど)やっぱり小山さんが積み重ねてきた結果、開かれたものだと感じてます。
あと、+act miniのインタビューで、二人の離脱が決まったときに「NEWSの小山慶一郎じゃなくなるかもしれません」と言った小山さんが忘れられないんですけど、そのときに「“小山慶一郎”だからお願いしてる」っていう言葉に繋がったのも、やっぱり小山さんが積み重ねてきた結果なんだろうと思います。
なんとなく、小山キャスターのあり方は、人間関係も含めて、色んな意味で小山慶一郎の人生の象徴な気がしていて、だから、小山さんがこれからどんなキャスターになっていくのか、どんな報道をしたいのか、アイドルがキャスターをやることにどうやって向き合うのか、こうやって並べてみたいろんな思考にどんな変化が生じるのか、そういうことがすごく気になっています。
しげの小説や、テゴマスの歌と同様、“小山慶一郎”がぎゅっと詰まってるものがキャスター業だと想像しています(笑)
アイドルと報道について考えだすと深みにハマるのでこのくらいに。
ともかく、小山さんと報道は小山さんのアイデンティティー確立の観点からも、NEWSというグループを語る上でも欠かせない要素になっているのではと考えています。前者はすでに述べた通りです。後者に関しては、グループ内に「外」の視点を持ったメンバーがいる重要性ですね。ともすると、対ファンに特化しがちな視点を、対大衆にも切り替えられる強み。これは先輩グループがすでに証明済みだと思います。
実際、コンサートの打ち合わせでも小山さんが他の3人が見失いがちな実務的な視点を補い、足元を固めてくれる(≒スタッフ目線になれる)、との話も出ていました。小山さんが報道で培った経験が、本人が目指すスタッフとメンバーを近づける役割に還元され、それがスタッフとNEWSの一体感を生んでいる要因になっていると思います。
■小山さんの今後
2011年の1月21日、入所10年が経って「“小山さんを応援して10年経ちます”」とファンレターをもらったことがすごく嬉しかったといいます。
「俺の10年間を見つづけてくれた人がいるって、すごく誇らしいなって」「もちろん、最初からファンじゃなきゃいけないってことじゃなくて、ファンの人がいてくれることが、俺の支えなんだなって」「そういう人たちのために、もっとがんばりたい」「NEWSのコンサートのときなんて特に思う」「“こんなに集まってくれたんだ”って。ファンというよりファミリーみたいな感覚」「これから、もっとNEWSファミリーの絆を強くしていきたい」。
「好きになったらその人がタイプ」な小山さん。理想の相手は「俺は自分にどっか自信がないから(略)“大丈夫、大丈夫”って言ってくれる人」。子供時代がさびしかったと話す小山さんは、「家に誰かいるっていう生活をしたい」と結婚願望を持っているといいます。
一方、仕事面では、「最高の2番手になりたい」と語ります。
「NEWSでいえば、いちばんはほかのメンバー5人でいいと思ってて」
「それは結局6番手かもしれないけど、みんながいちばんでいてくれれば、俺は2番でいい」
「じゃないとMCってできないし」
「自分がしゃべらずクールってキャラじゃないこともわかってる。カッコつけられないんだよね(笑)。演じられないし」
「俺、不器用だと思います。(カッコつけたいけど)それはできないから」
「思うことを何でもしゃべって伝えることが、ファンの人たちとの距離感を縮めることになると思うし。壁を作るのがイヤなんです」
「いつでも会えるアイドルって思ってほしいし、そうなりたい」
「俺は、ファンとNEWSをつなぐ、最高のパイプになりたいって思ってます」
小山さんの、「パイプ役」発言はこの頃にもう出てきていたんですね。NEWS内のバランスを把握していて、自分の出来ること・出来ないことをはっきり自覚し、役割を決めていたことがわかります。
NEWSとNEWSファンを「家族」と称し、その輪をつなぐ「パイプ役」になりたい小山さん。インタビューを読むとわかるとおり、小山さんにとっての「家族」は本当にかけがえのない存在ですし、そういう大切な場所にそっと入れてくれることにも、ずーっとその関係を大切にしたいって思ってくれてることにもほろっと来ますね。
また、この宣言通り、新生NEWSの始動にあたり、「パイプ役」として大活躍した小山さん。
人と人をつなげ、輪を広げ、円滑にしてきたこれまでに、NEWSの守り&土台としての能力の高さと決意を垣間見たような気がします。
■まめかんの思う小山慶一郎
小山さんは本当に分析するのに向いていない!これは、声を大にして主張したい!!
小山さんの魅力は、見たらわかる!って感じなんです。スタイルいいし、優しさMAXだし、アイドル魂持ってるし、メンバーとファンへの愛情たっぷりだし、スーツが似合うし、努力家だけど天然でちょっと抜けてて母性本能をくすぐるし。
ほら、小山さんの魅力は小山さんを見たらばっちりわかるんです。なので、見てください!としかいいようがない。
あえて言葉にしなくても十分です。皆さんが感じた小山慶一郎の魅力が小山さんの魅力なんです。
頑張って書いたけど、まめかんが何文字を費やしたって、インタビューを読み返したり、『news every.』やラジオ、CDの特典映像をみたほうが何十倍も小山さんの魅力を知ることができます。
2013年1月30日には、LIVE DVDも発売になるので、ぜひそちらもお買い求めいただけると小山さんがもっともっとわかるのでオススメです(宣伝!)。
とはいえ、書かないのもなんだか申し訳ないので、これから先はあくまでも蛇足です。はい。
幼少期のエピソードは細切れに知っていたのもあったので、おおむね納得でした。特に、ご実家がラーメン屋だから初対面の人と接する機会が多く、人なつっこかった、という分析には確かに!と思いっきり同意してしまいました(笑)
それと、ずっと野球をやっていたため、上下関係が明確で体育会気質なジャニーズでも特に苦労はしなかった、というのにも大いに納得。人なつっこさと礼儀を持ち合わせた如才ないJr.だったんだろうなぁ。
あと、初めて母子家庭だと知ったときは少し驚いたのですが、インタビューを読み進めるうちに、腑に落ちた気がしました。上手く言葉にできないのであまり詳しくは書きませんが(笑)
ただ、小山さんの陽の部分が突き抜けるような天真爛漫さではなく、ほわっと包み込むあたたかさなあたりとか、明るいものばかりで構成されていそうなのにどこかさみしさが滲むたたずまいとか、甘え上手でベタベタしているようでべったりにならない一線がありそうなところとか、インタビューラストで、NEWSとNEWSのファンの関係性を「ファミリー」と称したこととか、ほんと上手く言葉にできないんですけど、ご家族と仲良しながらも「子供時代はさみしかった」原体験が繋がりを求める気持ちと予防線になるのかなぁと勝手に感じてしまいました。
小山さんがすごいなぁと思うところってすごくたくさんあるんですけど、このインタビューからは「状況をありのままに消化していく」部分の強さを改めて感じられたような気がしました。
私だったらセロリを煮て原型を無くして上手く食べちゃうか、いっそ取り除いてしまうところを、小山さんはたとえ大っきらいでもセロリ本来の味を味わいながら少しずつ食べきるみたいな。その結果、嫌いで苦手なものの中にひっそり含まれてた旨味や栄養にきちんと気づいて、全部自分の中で消化して、大きく成長していく感じ。うーん、例えが下手すぎて申し訳ないんですけど、ニュアンスだけ読みとっていただけると幸いです(笑) あと、なんとなくセロリだったんですけど、ここは苦手な食べ物で補完していただければ!
小山さんのインタビューにも、そういう小山さんの性質が反映されているのか、小山さん自身による解釈はほとんどはされていなくて、インタビュアーさんに自分の思いや考えを率直に伝え、言葉に落としています。ご両親の離婚のくだりも、高校受験のくだりも、25才の転機のくだりも全部そうです。わたしが素直じゃない人間なのもあって、感情をありのまま飲み込む・伝える、ってすごく苦手だったりするので、こういうの読むと「ありのまま消化し」「料理しない」小山さんをほんっと尊敬します。
しかも、小山さんが20代後半になってもこの素直さをもっていることが、すばらしい。
同じ話になってしまうのですが、小山さんは本当に「真っ当」。光り輝くような真っ当さ!高校受験失敗→ジャニーズの生活で夢を見出す→大学受験でリベンジ!ってなるのもむちゃくちゃ真っ当。どうしても進めない道は他の人のアシストで迂回することがあっても、必ず戻って進みなおすのが小山さん。周囲には全くわからない、対自分の戦いで決して逃げない人。
高校受験失敗も、25才の頃も、わたしだったらずっと泣き暮らしているのって辛いから、向き合うのやめてそれなりの場所に収めちゃうよなぁと思うんですけど、小山さんは違います。自分でどうしたらいいかもわからないし、どうしようもなくて、一日たっても何にも変わらないだろう状況でもどうにか頑張ろうとするので、尊敬と同時にちょっと不安に思うときもあります。
わたしは、小山さんが自分を「不器用」と表現している理由をここだと思っています。ある意味では、上手くごまかしたほうがいいときだってあるのに、小山さんは直球しか投げられないんです。たまーに無意識でカーブとか織り交ぜてきても、それは無意識なので再現はできないのです。
そのあたりのアンバランスさが、陰の部分のアイドル性を生み、ファンを深みに誘う効果を持っています。未完成で欠落した部分に惹かれたり、不安定で手がかかる男の子ほど気になっちゃったり、母性本能をくすぐられたり、柄にもなく支えたい!とか思っちゃうやつです(笑)
いろいろ書いてきましたが、まめかんが思う小山さんの魅力は「周りにいそうでいなくて、いて欲しい」って言葉に詰まっています。本人が「会えるアイドルって思って欲しい」と語っていた通り、小山さんはどこか精神的な近さを感じさせてくれる方ですし、先日のハロー、グッドバイのついったーでもファンに対して近くにいるよ、というメッセージを送り続けていました。
アイドルを見てると、どこかぶっ飛んでる人が多く、わけわからん!、この人は芸能人じゃなければ普通に生活できるんだろうか、別世界の住人だ、と思う瞬間が必ずやってくるのですが、小山さんの考えは理解可能ですし、常識的な思考回路を持っています。普通に働いても活躍していそうです。
なので「小山さんがもし先輩だったら……」「小山さんがもし職場にいたら……」等々、自分の日常生活に小山さんがいたらどうなるんだろう、と思いを馳せることが出来ます。いわゆるリア恋、といわれるような対象にしやすいのも、小山さんが一般人の生活に馴染みそうだなぁと、近さを感じるからではないでしょうか。
その一方で、矛盾しているようですが、圧倒的にアイドルでもあります。小山さんのアイドル性は、生来のロマンチストさと、ほどよいチャラさ、てらいのなさによって支えられています。
思考回路は常識人なのに、言動がとってもアイドルなんですね。特に最近はたがが外れたように甘ったるくてロマンチストなアイドルです(笑)
小山さんはいそうでいなくて、ちょっと手の届かない理想の男の子の象徴と、たくさんの夢を見せてくれるアイドルを行き来しているんですね。
なので、ファンは色んな距離感の“小山慶一郎”を見ることができますし、自分が気に入った“小山慶一郎”に軸足を置きながらギャップを愛でることができます。相反する小山さんに翻弄されるうちに、スタイルのすばらしさ、天然さ、ひたむきな努力家だけど努力を見せないところや、愛情深さにほろっとなり、気付いたら小山さんに落ちてしまうわけですね(笑)
また、メンバーとファンには、愛情を出し惜しみしない方でもあります。メンバー愛の連載タイトル通り、「メンバーが好き!」な気持ちの大きさはメンバー随一とNEWSメンバーからのお墨付き。この気持ちは今後ますます強まるんじゃないかと思っていますし、インタビューラストで「最高の2番手」という話をされていましたが、個人仕事はおおいに攻めて、NEWSではアシストに徹してメンバーのよさを引き出したい、との思いももっと強まるんじゃないかな。
小山さんの慈愛のまなざしは増田さんが「おばあちゃんみたい」と称していた通りの愛情深さ。全部受け入れてくれるような度量と温かさを感じて癒されます。
こういう様子を見ていると、NEWSのリーダーとしてもどんなリーダーになっていくのか、すっごく楽しみだとも思いますね。今の感じだと、3人をのびのびさせつつ、ちゃんと受け止める、器の大きいリーダーになるのかなぁ。小山さんは突如大きな変化をすることはないですが、代わりに日々の積み重ねを感じることができて、見ていると心に沁みますし、ファンに後押しされ、羽を伸ばし始めた小山さんがどうなるのかも非常に見所。30代の姿が早くも楽しみな、長く付き合って生きたいアイドルです。
最初に言い訳をした通り、これだけ言葉を費やしても小山さんの魅力なんて全く語れた気がしないし、一言でいうのは本当に難しい。
なんとなく小山担の方って、大人な方が多い印象なんですけど、書いているうちにちょっと納得しました。酸いも甘いも噛み分けた方に小山さんが響くのは、お出汁みたいに、シンプルに見えながら複雑な旨味を持っててで味わい深い人だからなのかなぁと(笑)
つかみどころがありそうでない小山さん。わたしもいつか“小山慶一郎”を上手く語れるように、これからも小山さんをそっと眺めていこうと思います。NEWSファンになって5ヶ月。小山さんの全体像が全くわからないので、ずっと興味津々です(笑)
あと、まめかんとしては、再始動にあたり、肩の力が程よく抜け、愛情表現にたがが外れて手越さん顔負けの剛速球を投げ始めた小山さんがすっごく面白いので、2013年は小山さんV.S.手越さんのNEWS内王子様闘争(少女マンガでもないような決め台詞&行動がどれだけ出てくるか)の行く先を楽しみにしています!
いつもながら、上手くまとまらずに申し訳ありません><
ご意見等々ありましたらコメント欄かリプでお待ちしています♪
というか、小山さんの魅力を小山担の皆さんやNEWSファンの皆さんがどうやって表現されているのか気になって仕方ないので、気が向いた方はぜひ^^